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国指定重要文化財
 
フランク・ロイド・ライト設計
 
[第7話]

いまとなっては幻…
建築当初の電気設備。

インテリアとしても優雅な照明

ヨドコウ迎賓館とライト坂

先進の設備を史料から推測

ヨドコウ迎賓館は、山邑家の別邸として大正12年から13年にかけて建設されました。そして、当時の文献によると、暖房・厨房の設備の全部を電化していたと記されています。とはいっても、時代は大正末期。いったいどんな機器が備えられていたというのでしょうか?残念ながら、照明器具など一部を除き、ほとんど現存していません。そこで、建築当初の史料を参考に推測してみたいと思います。


外国製の高価な電気製品がズラリ

さぞかし高価だったのでは…と想像できるのが、ドイツ製の冷蔵庫です。というのも、国産品(東芝製)が初めて発売されたのは昭和5年のことでしたが、なんと家一軒が建つとも言われるほどだったとか?!さらに、まだほとんどの家庭が薪で調理し、湯を沸かしていた時代に、アメリカ製のオーブン、炊飯器、電気湯沸器まで完備。こうした厨房機器をはじめ、暖房設備なども整っていたようですので、まとめてご紹介します。その充実ぶりに加えて、所要電力の大きさがわかります。


電気炊飯器と電気コンロ

電気湯沸器


配電室

ケタ違いの契約電力量が暮らしぶりを象徴
ところで、こうした電力の供給先はどこだったのでしょう? 山邑邸では沿線の私鉄と直接契約を結び、電気を引き込んでいたそうです。1年契約の最低使用電力量は、3万キロワットアワーにも及びました。ちなみに現在の標準的な家庭では、多くの電気製品に囲まれているにもかかわらず、省電力化のおかげで、1年の使用電力量は3500〜4000キロワットアワー。電気代に換算すると、8〜9万円になります。(関西電力の数値をベースに試算)。電気の種別や電気料金の計算方法が異なるため、単純には比較できませんが、電気代のほうも驚くほど高額だったと推測できます。建築主の豊かな資産によって実現した欧米並みの電化生活は、同じライト作品として名高い旧帝国ホテルにも匹敵する快適さをもたらしたのではないでしょうか。

当時の機器名と所要電力一覧表



昭和初期の芦屋川駅
『山邑邸建設当時の芦屋について』
ヨドコウ迎賓館のある芦屋市は、山邑家の別邸として使われていた頃は精道村と呼ばれ、のどかな農村から別荘地、さらに郊外住宅地へと変貌する途中でした。こうした発展の基といえるのが鉄道の開通です。明治38年、大阪(梅田)・神戸(三宮)間に阪神電鉄が開通。大正2年には国鉄芦屋駅が新設され、同9年には阪急電鉄も開通。阪神電鉄の余剰電力により、電気が供給されはじめたのが明治41年。大正時代には、各家庭に電灯照明が広く普及しました。都市機能の発達に伴い、同村では住宅戸数が急増。鉄道開通前(明治37年)にはわずか639戸であったのが、山邑邸建設当時(大正12年)には3057戸に達していました。 ※参考文献『芦屋市史』

※本稿はヨドコウ迎賓館の保存修復を監理されている(財)建築研究会の平田文孝先生のご教示をいただき淀川製鋼所が作成したものです。

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